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WRITING/Report

[report] 出版ジャーナリズム - 雑誌作りに挑戦して

pencilk 2006. 2. 22. 05:24
거의 한달간 수면부족과 어깨 무너짐으로 나를 괴롭혔던 잡지 만들기 수업의 잡지 만들기 과정에 관한 레포트. 그나마 가장 기억에 남을 것 같긴 하지만.

 うちのグルップの最初のテーマは「手作り」であった。6人という人数の少なさと「手作り」の定義の難しさで、最初は皆で集まってもなかなか具体的な話までは進まなかった。一体どこまでを「手作り」として認めるかについていろいろ話し合ったけどなかなか整理出来ず、とりあえず時間が迫ってくるので取材をしようとした。しかしどこに良い店があるのかという情報が全くない状態だったので、私達に出来る事というのはインターネットで調べたりプロのグルメ雑誌で探したりするくらいだった。それでは自分たちが雑誌を作る意味がないという結論に至り、私達は果敢にテーマを変える事にした。それで出だテーマが「学食グルメ」である。
 うちのグルップには3人の交換留学生がいて、全員の半分が留学生という、他のグルップに比べたら特殊な状況であったと思う。先ず私みたいな留学生にとっては青学以外の日本のいろいろな大学へ、しかも学食を見れるというのが非常に楽しみであったし、日本の大学生たちも友達がいない限りは案外他の大学へ行く機会があまりないという所で、皆テーマの変更には大賛成だった。取材対象は「大学の学食」と決まっているので、学生の位置で取材するにはぴったりだと思った。そして学食というのは、ただ値段が安い食堂なだけではなく、大学生活にとってのもう一つの楽しみとして考えれる。またその大学独特の雰囲気や特徴があり、学食を通してその大学が見えて来ると非常に面白いだろうなど思いながら、主要大学のリストを作成した。
 範囲は東京内にして、先ず東京にある名門私立大学の名前を思いついた順で並べてみた。それから他の大学に通ってる友達を通して情報を得たり、取材でインタービューした店長さんに他の良い学食を推薦してもらったりしながら、総11校を取材する事を確定した。特集企画としては女子大特集とデザート特集、あとは取材しながら特集として書けるような独特な学食を見つけて企画することにして取材を始めた。
 先ず最初は青山学院大学から取材を始めた。一番目の取材だっただけにいろいろな間違いに溢れた取材だった。準備した質問がちょっと足りないという事に気づき、取材が終わってから「こういう質問もしたらよかったのに」と後悔したり、店長さんのインタービューをしたのに店長さんのお名前をお伺いしなかったり、必要な写真を撮らなかったり、多様なミスが出た。青学の学食は店長さんのインタービュー以外はいつでも追加取材ができるのでそういうミスが許されたが、他の大学では絶対通用できないはずである。青学の取材経験を見本として、自分たちの取材にどういう問題があったのか、どういう間違いがあったのかを徹底に反省し、それからの取材ではそういうミスが出ないように取材準備を再整備した。
 しかし他の大学は取材を始まりもする前に、取材依頼の段階から非常に大変だった。青学の場合は私達が青学の学生だという事と、直接面と向かって話ができたという所で、わりとたやすく信頼してもらえたけど、他の大学の場合は電話で取材依頼をするしかなかったので、先ず私達が本当に青山学院大学の学生なのかの可否を証明して欲しがってる学校もあった。そういう時にはFAXで学生証をコピーして送って取材許可を得た。そして取材の内容に関して厳しく検討したいという学校もあった。そういう時には質問の内容を詳しく書いて事前にFAXで送って、内容を先に検討してもらってから取材の許可を得られた。一方、とてもやさしく取材を受け止めてくれた学校もあった。私達が取材に行った時間代はメニューの試食のためにほとんどお昼時間が多かったが、メニューをただにしてもらったり、大学限定商品をもらった事もあった。
 うちのグルップは人数が少なかったため、一人ずつ自分の役割が記事担当とか写真担当みたいに決めてなく、毎回取材の時、学校へのコンタクトを担当した人がメインになって他の皆がサポートする感じで取材をした。私は基本的にはアートデザイナとして雑誌の全体的なデザインを担当し、その代わりに記事は書かず取材と写真の撮影に参加した。
 取材は基本的に店長さんのインタービュー、学生インタービュー、学食の雰囲気の撮影、店長のおすすめメニューと学生に人気のメニューの試食と撮影、デザートの試食と撮影の順で行われた。徹底的に取材の準備をしようとしても、やっぱりプロの記者ではなく学生なだけにいろいろ苦労があった。
先ず一番残念だったのは、うちのグルップの人数が少ないため、もっと多数のメニューを食べてみるのができなかった事であった。全員で6人しかいないし、学期中なので皆それぞれ他の授業とか就活とかで忙しくて、取材に行く人は多くても4人、少ない時は2人で行く時も結構あった。そういう時は頑張って一人で2食を食べたりもしたけど、もっと人数が多かったらもっと多様なメニューを食べれたのにと思った。
 そしてまた大変だったのは料理の撮影であった。グルメ雑誌のだけ、何よりも料理が美味しく写るのが一番大事な事である。しかし料理を美味しく写るようにとるというのは、思った以上に非常に難しかった。まず青学の学食では各料理を皿の上に置いたまま写真をとったけど、そうしたら皿がどこまで見えるのかで料理の背景がバラバラになってしまった。それでその後からは料理の背景を統一するようにした。そして美味しく見えるようにとりたくてズームアップしてとると、写真の焦点が合わなくて鮮明な写真にならなかったりしたので、ちょっと遠目からとって、後でphotoshopで写真をカットしたり修整したりした。
 取材をやっていくうちにいろいろな特集の企画ができたり、また無くなったりもした。最終的に特集は「最先端をいく学食」として東京農業大学と慶応義塾大学を完全ナビゲートする事にした。この特集は最初から準備したものではなく、取材していくうちに自然に出てきた企画であった。東京農業大学の店長さんをインタービューした時、店長さんがアメリカに派遣されてハーバード大学などの最先端の学食施設を見学した経験をいろいろ語ってくれた。その時、これから日本の学食がどういうふうに変化していくのかについて話しながら、現吊京農業大学と共に最先端の学食を少しずつ実践している所として慶応義塾大学の日吉キャンパスの学食を勧めてくれた。
 一方、取材を始める前から企画していた女子大特集は、結局なんとか特集ページを作り上げたけど、正直いうと案外そんなに女子大独特な雰囲気とかメニューが少なくていろいろ悩んだ。こういうふうに取材をしていくうちに、期待した部分では案外期待未満だったりする一方、全然期待しなかった所で意外な特色を見つけたりできて、予想外に展開していくのが正に取材活動の妙味だと思った。
取材がほとんど終わった頃からは、私はデザインに全力投球した。私は韓国でジャーナリズムを専門として勉強していて、クラブ活動として学生たちが作ったwebzine(インターネット雑誌)DEW(Digital Ewha World, http://ewhadew.com)で学生記者を兼ねたウェーブデザイナとして活動していた。そしてウェーブ上だけではなく、紙の雑誌も作った事がある。学校からお金を援助してもらって10,000部の雑誌を印刷し、大学にフリーペーパーとして置いておいた。私は当時Quark Expressを使って雑誌のデザインをしていた。
しかしQuark Expressプログラムは当時うちのクラブ室にあるMacにあったし、自分のパソコンにはないので、今回はMS Wordで全ての作業をするしかなかった。最初は MS Wordの使い方があまり慣れてなかったので結構大変だったが、やっていくうちにだんだん慣れてきた。
取材が全部終わった時点ではもう時間が迫ってきていたので、デザインは私が全ページをするのではなく、皆も少しずつ手伝って自分の取材した学校のページをデザインした。元々は私が全ページをデザインした方が統一感もあるしもっと良かったかもしれないが、人数が少ないため私もずっと取材に参加しなきゃいけなかったので、基本的にデザインが統一しなきゃいけない「名門私立大学」のページを私がデザインし、その他少しずつ変化があっても良い「特集」のページを皆にデザインしてもらった。勿論私以外の皆はphotoshopとかが使えなかったりしたのでそういう部分は私が手伝ったり、最後に間に合わなかった最先端の特集ページの半分は私がデザインした。
デザインし始めてから締め切りまで、私は毎日のように2~3時間しか寝れなかった。私にとってはやっぱりこの最後のデザインをしていた時期が一番大変だった。私は記事は書かずデザインだけを担当したので、基本的なデザインが決まってないと皆もどれくらいの長さでどういう形式で記事を書けばいいのか解らなかったので、そういう部分のやり取りで結構時間がかかった。
 そして皆に事前にページ設定を同じようにするように教えたけど、作ってからみたらどうしても皆少しずつ紙の大きさとか余白の設定とかが異なって、ページ数を入れる位置とかは最終的に私ができるだけ修正したが、少し位置が合わないページもどうしようもなくできてしまった。
 製本は中閉じでする事にしたが、最後に製本する時に印刷所から中閉じの場合はページをもう一度コピーして合わせたりする作業を自分でやるしかないと言われて、えぶりんと私が徹夜して、最後のホチキス作業以外の全ての作業を自分でやった。その前までもずっとデザインの作業でほとんど寝れなかった状態だったし本当に大変だったけど、おかげで中閉じに関しては完璧に理解したような気がする(笑)。
 後半は長く続いた寝不足と、毎日自分のパソコンを学校に持って来ていたので肩にあざが付くくらい疲れていたけど、今回の雑誌作りは青山学院大学で交換留学生として過ごした1年の中で一番記憶に残ると思う。韓国でも雑誌を作った事はあったが、その時とはまた違ういろいろな経験ができた。雑誌作りに挑戦していろいろ苦労もしたけど、最後まで頑張って出来上がった瞬間の感動はこれからもいろいろなものに挑戦したい気持ちにしてくれた。個人の作業ではなくグルップの作業だったため、途中でいつもこの授業より他の授業を優先にしてあまり参加しない人には妙に腹が立ったりもしたが、最終的に無事に終って嬉しい。今回の経験がこれから社会に出て働く時、私にいろいろ役に立つと思う。多くの事を考えさせた良い経験だった。